この情報過多のご時世、ベートーヴェンくらいの刺激では驚かなくなっているほど感性が鈍っている自分が残念です。
プログラムの曲紹介書くのに、いろいろ勉強したのですが、改めてベートーヴェンの交響曲第一番がいかに革新的な交響曲であったかを思い知らされました。
プログラムではスペースの制限もあり書けないこともあったので、思い付く限り、この交響曲の凄さを書きつらねてみます。
今回演奏するハイドンの交響曲第99番がもちろん素晴らしい交響曲であることは、疑う余地はありません。
第一楽章の隙のない完璧な構成。序奏ではトニック、ドミナントの和音から展開して、ドミナントに達してビバーチェの主部に入り、第一主題、第二主題と提示、展開部では提示部の二つのモチーフを使いながら和音を展開して、鮮やかに再現部に入り、短い終結部を経て幕を閉じます。正にソナタ形式のお手本といった隙のなさです。
そこで、ベートーヴェン。ハイドンの形式は大きく崩してません。変人と言われていたベートーヴェンですが、決して枠から外れない中でも時代を進めてしまえるところが後世に名を残す天才なのでしょう。。
ただ、ベートーヴェン演奏するに当たって、いくつか関連書読みましたが、面白かったのはベートーヴェンは次々とおもいつく新しい試みを弦楽四重奏などで実験した結果、評判のよかったことを交響曲に使ったのだという話
人の言うことなど耳も貸さないという印象がありますが、意外とマーケティングの結果を作曲に活かしていたらしいです。
その慎重に吟味した結果、世に送り出された今回演奏する交響曲第一番には、どのような試みがなされてたのでしょう?
まずは序奏。最初の交響曲にして、最初の和音が主和音でないというのは、お客さんにとっては何が起きたのか?と思うような衝撃があったのではないでしょうか?
どこにいくかわからないような不安感の中、Allegroに入って初めて第一主題がハ長調で演奏されます。お客さんの安堵感の中で演奏される第一主題は、強烈に記憶に残ることでしょうし、これが狙いだったのではないでしょうか。
個人的にはこの序奏の成功が交響曲第4番の序奏に繋がってると思ってますが、考えすぎでしょうか?
長くなったので、続きはまた!書かなかったらすいません。